「ククール?」
「んー」
グルーノさん(じいさんと呼ぶのはきっと一生慣れない気がする)ちで休んでいると、
隣のベッドにククールの姿が見えず、俺は起き上がって、彼の名を呼んだ。すると、
のんきそうな声がバルコニーの方から聞こえる。
「どうした?寝れないのか?」
ベッドから降り、ククールのいるバルコニーへと向かえば、声と同じくらいのんき
そうな顔をしたククールが俺を肩越しに見て、そう言った。
「別にそういうわけじゃ」
「まぁ無理すんなって。いきなり出生の秘密知っちゃったんだからな。知ったからって
俺らはお前を特別扱いするつもりはねぇけど、お前は戸惑うだろ」
「別に戸惑いも」
「無理すんなって」
此処には月は出ないんだなと言って、ククールは空を見上げた。



同じように俺も、空を見上げる。
俺は無理はしていない。驚きはした。いきなり『祖父』という人が現れて、それが
いつも一緒にいたトーポだったのだと知らされたんだ。父と母のことも知り、自分の
出自を知り……驚かないという方が無理な話。でも、だからって眠れないくらい無理
しているというわけじゃない。
失った記憶をそんな風に語られたところで、失われたものは取り返せない。俺の中に
あるのは、人間としてあの地上で蓄積された記憶。その記憶に情報として表面に上塗り
されたような、そんな感じが否めないんだ。
とってつけた感覚があまりに強くて、あぁそうだったのかとあきらめにも似た理解を
俺はするしかなかった。
それは無理をしているということなのだろうか。
「俺とお前じゃ立場が全然違うけどさ」
暫く空を見上げていたククールがちらと俺を見て、バルコニーの手すりに腰をかけた。
「いきなり突きつけられる現実って、受け止めるのが精一杯だったりするよな」
「……え?」
「いきなり、これこれこうなんですよ、だからこうしなさいね、こうするんですよ、
こうだからねって言われたら、はいわかりました、そうです、そうしますってやるしか
ねぇだろ?」
ククールは何かを思い出すように、眉間に皺を寄せる。
「俺の話ね、俺の。ガキンチョの俺にはそれが手一杯だったわけ。親が死んで、行く
当てなくなって、あの修道院に来たときの」
そう言ったククールの目元を見て、俺はあの人を思い出した。剣を交えた、あの、人。
誰もが操られた封印の杖をその強靭な意志の力で逆に利用し、この世が持つ矛盾を、
自らも抱える矛盾を力をもって打ち砕こうとした、あの人。
こんなことを言ったら怒るに違いない。でも、その眼は良く、似ている。
「結構しんどかったぜ。立場が立場だったせいもあるしな。けど、まぁお前の場合は
あの王様助けたことで株は上がったし、ふるさとができたようなもんじゃん。気楽に
考えとけよ。とりあえずは受け止めといて、少しずつ理解してきゃいいさ」
「じゃあククールは」
俺はそこまで言って口をつぐんだ。
「俺はできなかったけどな」
問いかけようとした質問の答えが返って来る。
「できやしない。したくもないさ。けど、これはもうどーしようもできないこと」
ククールはまた空を見た。星も出ないとつぶやいた。
俺も空を見上げる。月も星も確かに出てはいなかった。どうしてできなかったのかと
聞こうとして、やめた。ククールは本当は、理解したかったのではないかと思ったから。
きっとそんなこと言おうものなら、明日は口を聞いてくれないかもしれない。
そんな子供っぽいことを俺は考えた。
「気楽に……考えてみる」
「そうだ、そうだ。お前にはそれが一番似合ってる。お前がやったら神経質なヤツ
だったら俺なんかこうして旅続けてらんないぜ」
ククールは笑顔を見せた。
その笑顔すら、ククールは多分心から笑っているはずなのに、どうしてかあの人の、
皮肉をたたえた笑みに見えてくるのはどうしてだろう。
「でも、ククールは気楽には、考えられなかったんだ」
だからそんな風に俺は言ってしまったんだ。



「はぁ!?」
「ごめん。気に障ったらごめん」
「思い切り障った」
ククールは腰掛けていたバルコニーから立ち上がる。
「寝るわ」
そのまま部屋に戻ろうとしたから、俺は慌ててその腕を掴んだ。
「寝るって言ってるだろ。お前も早く寝ろよ。明日は、」
「本当は、理解して、本当は」
ククールは振り返らない。俺に腕を掴まれたまま。
腕の長さ分の距離。背中がすぐ近くに見える。あぁまただ。またあの人の背中が、俺の
眼の裏に浮かんでくる。
「マルチェロさんと、」
「エイト、それ以上言うな」
冷たい口調だった。初めて聞く声だ。俺も、初めてする問いかけだ。
ずっと思って、感じていたことだった。ドニの村でククールに出会い、マイエラ修道院で
彼と再会そしてマルチェロさんに出会った。マルチェロさんとの関係については……トロデ
王から妙な脚色付きで聞いた。修道院の人からも噂に現実味がついた話を聞いたりもした。
俺なりに、ずっと思っていたんだよ。
本当はククールは。本当はマルチェロさんは。
「言うな。もう、俺もあいつも関係ない。団長と部下というしがらみもなくなった。もう
本当に関係ないんだ」
あの日、聖地ゴルドでククールは言った。初めて会ったときの優しさを忘れられないと。
子供の頃に抱いた、植えつけられた、けして消えない記憶。
それがククールの、マルチェロさんへの気持ちの原点なんじゃないか。
忘れられないククールに、マルチェロさんは指輪を投げた。その意味は多分、自分を忘れ
はしないだろうククールへの、唯一できる、彼なりの『答え』なのかもしれない。
「受け止めるのが精一杯だ。それは今でも変わらない。だからもう受け止めなくていい
ことがせいせいするね。あとはもう……忘れるだけだろ」
できもしないくせに。
俺は掴んでいた腕を離した。ククールの肩が軽く動く。少し笑ったようだった。
「もう、ガキじゃない。それなりに立派な大人になったんだ。忘れるってこと、俺は
いいかげん覚えた方がいいんだよな」
そして、少し泣いているみたいだった。
俺も、ほんの少し、泣きたくなってしまった。部屋に戻るククールの背を見えなくなる
まで見送って、また空を見上げた。涙が引っ込んでしまうように。
星も月もない。ただ真っ暗な空。
俺は浅はかにも、俺の知らない彼の領域に、そして俺の知る彼の領域に、いつまでも
存在するあの人に嫉妬した。
無意識な想いこそ、どれだけの深さがあるだろう?





時は流れる。
赤ん坊は時と共に成長していく。
いろんな感情を知り、いろんな行為を覚え、傷つき、傷つけ、誰かを感じる。
誰かを感じる行為に『忘れる』ということも含まれるのではないだろうか。
感じるからこそ忘れたいんだ。
忘れたい人はきっと、一生刻み込まれていくんだ。
そんなことを、俺たちはどれくらい抱えていくんだろう。
果たしてそれが、大人になるということなのだろうか。












――いつまでも子供のままじゃいられないんだね。




















→ブラウザバックでお戻り下さい。


SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送