名前を呼ぶしか、なかったのだと。



「ククール?」
肩を揺らす。エイトは何か叫ぼうとするククールを無理矢理起こした。
「……エイト……?」
「ごめん、起こして」
ククールの額には汗が滲んでいる。身体を起こしたククールは汗ばんでいる自分に
気づくと、小さく深呼吸をして、額の汗を拭った。
「いや……」
「なん、か、苦しそうだったから」
そう言ってエイトは自分のベッドに潜り込む。枕元に差し込む月の明かりにその
様子がぼんやりククールの視界に入った。
「せめて夢くらいはいい夢見てよ」
エイトの、おそらくは何気ない言葉が妙にククールに引っかかる。
「どういう意味だよ」
「え?」
掛け布団に身体が全て覆われる前に、エイトはまた身体を起こした。
「どういう意味って」
「まるで、俺が」
そう言い掛けて、ククールは唇を噤んだ。まるで俺が?まるで俺がどうだと言いたい?
「ククール、」
自分の名を呼ぶエイトの言葉を掌で月明かりを遮って、ククールは言った。
「何でもない。起こしてくれてありがとな。明日はオーブだっけ?探しに行くんだろ」
「うん……」
「おやすみ」
掌を月明かりの下から布団の暗がりへククールは戻す。額の汗は滲んだままだ。それが
ふいに冷えていく感じがして、彼は自分が夢を見ていたのだと知った。冷えていく温度に
現実を感じた。
「ククール」
再びエイトがククールの名を呼ぶ。
「本当は、」
そして何かを言い掛ける。
「何?」
「……何でもない」
エイトがベッドに倒れる音がした。布団と身体が作る音がして、ギシと小さな軋みを
ククールが耳にすれば、エイトはククールに背を向けていた。
「おやすみ。明日は……マイエラにも、行くよ」
夢は夢だと、その言葉にククールは思い知らされるような気がした。




マイエラ。
自分が生きてきた場所。
呼吸を止めるように。
けれど、何かを発散するように。
其処にいた人は今。




夢を見たのだ。
ククールは暗がりに浮かぶ天井を見た。木目を何となく眼に映しながら、その先に
あるものは奈落の底。左腕が重いような気がするのは、あの日の夢を見たせいか。
聖地ゴルド。新法皇と名乗る男。男の手にある杖。明確な対峙。失われた意思。そこ
から解き放たれた邪悪。失うはずだった――命。
この手が、掴んだ。
そのときを何度も夢見るのだ。夢ではなく現実だというのに、繰り返し、そのとき
だけを。
振り払われた手が怖いほどゆっくりと。
再び掴む手は恐ろしいほど早く。
驚愕の瞳には命乞いの色など何もない。ただ、怒りだけが滲み、それはずっと
ククールが見てきたものと同じだ。夢に浮かぶ色すらも、ククールが懐かしむ、ただ
それだけを欲してきた色ではない。
眼下に広がる崖の鋭い切っ先、左腕にかかる重みが、逸らされた瞳の色と同化する。
まるで古ぼけた、色褪せた写真のように、全てがマルチェロの瞳の色に染まっていく。
自分と同じ瞳の色。
逸らされたそれに、自分はどんな顔をして映っていたのだろうと思い――その一色
の世界に、途端映し出された自分の表情。
そこで目が覚めた。
エイトに声をかけられたのだ。
見たこともない顔をしていた。ククールは夢を反芻しながら寝返りを打つ。
「ククール」
「……」
再びエイトが声をかけた。何も同じタイミングで声をかけなくてもいいだろうに。
「寝た?」
「……寝た」
「マイエラには、……別に来なくても、いいよ。俺らだけで行っても」
「くだらん気遣いはよせ」
瞼の裏、同じ瞳の色。漂わす感情の色はまるで正反対だった。そんなことを思い
知らされる夢。
そんな瞳の色を知られたくなくて、誤魔化すことばかりを覚えた。
「オディロ院長の墓参りすんだから」
「……そう、か。そうだね」
誤魔化す、ことばかり。
そう思いながら、ククールは今自分が発した言葉も誤魔化しの一つだと思った。
マルチェロを知ってから、ただ、それしか自分は覚えなかった。それで良かったし、
そうあるべきだと思っていた。
だから、夢がつらい。
本当の自分が現れる。
「あのさ、」
今度はエイトが口を噤んだ。
「何だよ」
「何でもない。おやすみ。明日早いんだった」
「ったく、自分で起こしておいて」
「起きてたじゃないか」
背後でエイトが布団に潜り込む気配がした。ククールはエイトが何を言おうとした
のか聞こうとして、首を動かし、彼の方を見る。
「エイト」
「……寝た」
「起きてるだろ」
「寝るところ」
「下手な気は、遣わないでくれ。……逆に、困る」
声は言葉がつながるにつれ小さくなって、最後はエイトの耳に微かに音として入る
程度だった。聞き返そうかと思ったが、エイトは何度目かのおやすみを言って、
ククールにはわからないようにそっと耳を塞いだ。





下手な気を、遣いたくもなる。
あの瞬間。
声にならぬ声を聞いた。
マルチェロ、と。
全て裏腹の言葉の中に沈む、何より純粋な言葉。
背を向けた人に、再び放たれた、言葉にならぬ言葉。
マルチェロ、と。











――衝動的にあなたの名前だけを叫んでいた。




















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