うなじ




割と面倒臭がりな性格のせいか、乱菊は自分の見てくれに別段頓着したことがない。
髪だって伸ばしっぱなしだし、結わこうとも思わない。化粧は礼儀程度にはするが、
それは已む無くであって、できることなら本当はしたくない。
「女って面倒くさいのよね」
いっそ男に生まれたかったと、季節が暑くなれば乱菊は特に思うのだ。自分に団扇で
風を与えながら、ふぅと乱菊は溜息を吐いた。今日も酷く暑くなりそうだ。


乱菊の住む部屋から瀞霊廷内の十番隊隊舎までの道のりは冬ならば暖かい陽だまり
であろうものが、夏のこの時期は地から湯気が出るほどのきつい日差しが差し込む。
じりじりと肌を焼く光の強さが耳に入ってくる蝉の鳴き声のおかげで倍増する。死神装束
のおかげで日光は余計に集まるし、踏んだり蹴ったりとはまさにこのことだ。
「あつぅ……」
暑いとか寒いとか、口に出してもどうしようもないことをどうして口にしてしまうのだろう。
無意味で不毛だとしても(それで温度が下がるとか上がるとかはないのだから)つい
口を突いて出てしまう。
隊舎に着くまでに毎日汗をかく。背中の生地が素肌に張り付いて気持ちが悪い。
こんなとき男だったら、とさらに不毛なことをやっぱり思う。
どんなに汗をかいて出勤しても、バッと胸元を肌蹴させて手ぬぐいなりなんなりで身体
を簡単に拭くことができる。水場で軽く水浴びだってできるだろう。
現に檜佐木や阿散井が昨日中庭の噴水で上半身を剥き出しにして水浴びをしていた。
渡り廊下からそれを見て乱菊は少し羨ましくもなり、同時に小憎らしくもなったので、
とりあえず阿散井の上司である朽木にそれとなく知らせておいた。
「もう少し近いところに引っ越そうかしら」
額に滲んだ汗が頬を伝う。手の甲でそれを拭って、乱菊は少し歩を早めた。日差しは
強い。あまり日に焼けない体質なのが救われるが、何度夏を過ごしてもこの暑さは
どうにも好きになれそうにない。
「おはよう」
後ろからふいに声がかけられ振り向けば、日番谷の姿があった。
「おはようございます」
「朝一緒になるなんて珍しいな」
「そうですね」
日番谷の額にも汗が滲んでいる。だが別に暑さをどうと気にしている風でもない。
自分より一枚多く纏っているものは多いというのに。
「お前さ」
「はい」
「いつになく眉間に皺寄ってるぞ」
つんつんと日番谷が自分の眉間を人差し指で示す。乱菊はその動作につられて眉間
に指をそっと置いた。やっぱりそこも汗が滲んでいる。
「だって暑いの本当に嫌いなんだもの」
「仕方ねぇよ。夏は暑いと相場が決まってるんだ」
扇風機もう一台申請するか?とおどけたように日番谷が言った。





隊首室の扉を開いた。
「毎日この瞬間が一番嫌」
一晩分の熱気が部屋に篭っているからだ。
「まぁそう言うな」
日番谷が窓を開ける。篭った熱気を窓から入ってきた風が奪っていった。だがその風
も熱さを帯びていて、乱菊は髪の毛をかき上げながら扇風機の電源を入れた。
「ぬるい……」
ゆるゆると回り出した扇風機が送る風に向かってそう言いながら乱菊は扇風機の前を
陣取る。作り出される風が乱菊の長い髪を少しだけ揺らした。
「お前さ、そんな暑いなら髪の毛どーにかしたら?」
「髪の毛?」
同じように扇風機の前に立とうとして、それを遮られた日番谷が背中まで隠す乱菊の
髪を軽く引っ張った。
「結わくとか、切るとか、あんだろ。暑い暑いばっか言ってないで少しはそれを軽減する
努力したらどーだよ」
「そうか」
「そうかって」
「面倒臭くって、暑いなら暑いまんまにしてました」
「阿呆か」
緩やかな癖のある、乱菊の山吹色の髪を今度は両手で日番谷は包み込んだ。それを
そっと上へと持ち上げる。
「あ、涼しい」
「だろ」
首筋にかいた汗のせいで、幾筋か髪の毛は日番谷の手から洩れ張り付いたまま、
「ねぇ隊長」
「何だ」
「暫くそうやっててもらえません?」
その湿った肌に人工の風が流れていく。
「やだよ、面倒臭い」
「少しでいいですから。汗が引くまで」
髪を持ち上げたことでできた耳元から首筋の隙間を風が通り抜けて日番谷に当たる。
そして少しの涼しさと共に風は別のものを日番谷に送っていた。
「もう、いいか?」
「もうってまだ全然じゃないですか。もう少し」
「だったら自分で結わくとかしろよ」
「結わいたところで髪が結局首に当たるから同じだもの」
「屁理屈」
「いいえ、事実です」
扇風機の風を止めたいと日番谷は思う。持ち上げる髪の重さより何より感じるものが
ある。人工の風が与える、目の前の人の香り。
「じゃあまとめろ……雛森とか伊勢みたいにすればいいだろうが」
「もう少し短ければまとめやすいんですけど、ここまで長いとちょうどいい髪留めも売って
ないんです」
手にする髪からも漂うそれは人工の香りではないようだった。本当に洗いざらしの髪の――
石鹸が人工の香と言えばそうなのだが、そうとは感じられない乱菊自身の匂いを感じる。
何を意識して髪を抱いたわけではなく、ただ本当に暑そうだったからやっただけのこと
なのに、日番谷はすっかり後悔していた。
それはきっと、この香りのせい。
「もういいか?腕が疲れた」
「あと少し」
自分が感じる香りを誤魔化そうとして日番谷は顔をふぃと横に向けた。そのとき左目の
端に映る、白地の中の黒点。
襟首にぽつんと、小さなほくろ。
まるでそれが引き金となったように、日番谷はバサリと乱菊の髪の毛を手から離した。
「隊長?」
「もういいだろ。暑かったら抜けていいから髪留めでも何でも買って来い!」
くるりと乱菊に背を向けて日番谷は自分の席に着いた。バサバサと乱暴に机の上に前日
置いておいた書類を広げ始める。
「折角涼しかったのに」
そう言って乱菊は自分で髪の毛をまとめ、上に持ち上げた。首筋を流れる風が心地良い。
「でも髪を切りに行くのも面倒臭いし、髪留めを買いに行くのも面倒臭いわ」
日番谷に聞こえるように大きく独りごちて、乱菊は暫く扇風機に当たっていた。







扇風機を一台申請しよう、日番谷はそう思っていた。














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