眩暈




 綾瀬川弓親は、松本乱菊が好きだ。誰が何と言っても好きなのだ。と云ってもそれは恋愛
感情のような下品で醜いものではなく、最早崇拝に近い感情であった。かの人は美しいだけで
なく靱で聡明で、女の身でありながら十番隊の副官をも務める女傑でもある。人柄も爽然として
いて優しくも厳しく、母のように姉のように、また友人のように護廷のものたちを見守ってくれて
いる。

 完璧だ。申し分ない。上から下までどこを取っても文句のつけようがない完成度だ。
 だから弓親は、あれほどの美しさを誇りながらどんな醜い者にも分隔てなく接する彼女にやき
もきするような、歯囓みするような思いを味わった。副官までの最上位席官は唯一人を除けば個性
に富んだ美形揃いである為、彼が不快を感じることはなかったが――荒巻を初めとする自隊の下位
のものには、お世辞にも整ったとは云えぬ見目の者どもが抜群に多い。しっとりと濡れたように
長い睫に覆われた、琥珀の大きな瞳が野卑な男を映し、愚鈍な女に向き合うあの、豊かな巻き毛の
向こうに見え隠れする白い項が視界に這入るたび、弓親は言い知れぬ怒りに襲われたものだ。
それは寧ろ義憤と呼んでも遜色ないほどの――膨大な負の力で。
乱菊のそばに立つ、そのときに感じる微かな芳香――その喩えようない香りとともに、強い眩暈を
いつでも呼んだ。


 今日の昼刻、暑さで食欲が減退すると笑って話していた彼女を心配した弓親は、偶偶通りがかった
露店で小さな西瓜をふたつ、買い求めた。既に執務室を辞していた彼女に渡しに行くと、そんなに
立板に水で褒めちぎられても困るわァ――と苦笑しながらも快く受取ってくれた。
 宵の口、野暮用序でに再び近くを通りかかると、九番隊の副官に出くわした。無個性に整った
顔立ちを奇抜な刺青が引締めている、嫌味なほどの美形である。フィルムの端のような素っ気ない
チョーカー、袖を剥取った死覇装、剃刀のような横顔に錆を含んだ声が佳く映えている。この男もまた、
完璧だ。上から下まで全く隙がない。
檜佐木と云えば結構な家柄だろうに、庶子でありながら引取られてすぐに出奔、現在は絶縁状態にある
と云う――折紙付きの問題児だ。それがまた箔と云うか、容姿振舞い凡てにきちんと合致している
あたり、朽木の当主などとはまた趣の違う美しさを見せている。そんな男が――数時間前乱菊に贈った
筈の小振りの西瓜をひとつ無造作に提げて十番隊の隊舎を出て来たのだから、弓親は穏やかならぬ思いを
抑え込むのに苦労した。
 肚立ち紛れに後を尾け、贈り物が橋の欄干に凭れ立つ黒髪の少女の手に渡るところを見届けてから、
漸く納得して帰路をたどった。誰彼刻の濃密な闇の中でも、少女の純白の羽織は――男の錆びついた声
と同じく、佳く映えた。
 あの人は優しい人だ。貴族の我儘につき合ってやったに違いない。慥かに子供には良いサイズだしね、
と皮肉げに一人ごち、三度通りすがった隊舎の窓を見上げる。落着かない理由は解っていた。あの人は
珍しく浴衣を着て、髪を上げていた。思いがけず細い頸がむき出しになり、頚骨を数えられそうに痩せた
項は酷く――娘の羽織のように白かった。
 あの男が、来ているのだ。
 色のない躰をぐっしょりと血に染めて、痩せぎすの腕を伸ばして柔らかな金髪を撫でるのだ。


 つい今し方人を殺した、その手指で。


 俄かに不安定になった。弓親は、見上げていた眼を戻し、注視ていた視線を閉じた。
 弓親は、乱菊が好きだ。誰が何と言っても好きなのだ。と云ってもそれは恋愛感情のような下品で醜い
ものではなく、最早崇拝に近い感情であった。
 なまぬるい風が吹いた。
 胃の腑を掻分け昇ってくる吐き気を堪えながら、僕の西瓜、もうひとつは、どっちが食べるんだろうな
――と、あてどもなくつぶやいてみた。














コメント:
チカが変態くさい。(笑)
彼の視点なので「美」を中心に視覚的要素に重点を置いてみました(笑)。
やっぱり修砕になってる…(Θ_Θ;)






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