花火




夏の夜にしても、ありがた迷惑といえるほどの強い風が木戸を鳴らしていた。
「申し訳ありません、お願いします、」
部屋の奥では吉良がさっきから何度も日番谷に頭を下げている。
「もういいから早く出てけ」
少々面倒な仕事を押し付けられたところで、どうせ今日は手が空いているのだから
日番谷とて本気で怒っているわけではない。寧ろ、暇つぶしができて好都合、ぐらいに
考えて居るのだろうが、慣れない吉良にそれが伝わるはずも無かった。
「では、失礼します」
市丸から託った書簡をなんとか日番谷に渡し終え、吉良は部屋を出て行こうとする。
松本乱菊は、窓の外に向けていた顔を慌てて振り向かせると、戸口に立った吉良に
声をかけた。
「隊長は部屋に居るの?」



「うちの隊長が何も言わないからって、これは無いんじゃない」
日番谷から奪ってきた書簡を目の前に突きつけると、市丸は大して驚きもしないで、
『いらっしゃい』と笑った。
「うちはそちらさんの面倒を押し付けられるような格の隊じゃないのよ」
彼とまともに口を利くのは実に何ヶ月振りだったけれど、苦言なら恐ろしいほどすら
すらと口から滑り出てきた。すると市丸はまぁまぁ、と宥めるようにして持っていた
団扇で風を送ってくる。
「面倒やから押し付けるやなんて、イヅルどんな言い方したん」
「え、それは―、」
市丸は彼女に向かって問うたのだけれど、弾かれたように返事をしたのは吉良の方
だった。
「隊長の仰る―」
「おたくの忘れ物を回収するように、ってことでしょ」
それを遮る彼女の声には市丸に対して大層な量のトゲがこめられており、しかしここ
でもそれに怖気付くのは吉良のみだった。
「忘れ物って、――まぁそのとおりやねんけど」

吉良が携えてきた書簡とは、上から下された厄介者の回収命令だった。
「確かに隊長クラスの仕事ではあるけど、おたくがしくじるだなんてどうかしてるわ」
市丸を、否定とも肯定ともつかぬ口調で糾弾する彼女の口調に、吉良は恐れをなして
部屋の隅へと退散していく。
「しくじる、やなんて大袈裟な。ちょっと一件『漏れた』だけやん」
最近忙しいしボーっとしててな、言いながら彼は、何か書き付けている途中だったの
だろう、手もとの紙片を彼女に見せぬように裏返す。彼女は、その動作に視線をとめた。
「そんなに忙しいの」
「そやなぁー」
ふっと目を逸らす仕草は、まともに答える意思が無いことを表している。それを見た
途端、彼女の鳩尾のあたりが何かに刺されたように痛んだ。
「忙しいなら抱え込まないで他へ回せばいいわ」
こんな風にね、突きつけたままだった書簡を指し示すと、市丸はまた適当な相槌を
打って笑う。彼女はそれが他へ回せない何かであることを察していた。
「でも、」
旅禍がくるという。
「でもこんなやり方は止めて。うちの隊長はガキの使いはしないのよ」
明日かもしれないし、明後日かもしれない。
何か企んでいるらしい市丸が、その企みの枷になりそうな人物を意図的に遠ざけよう
としてるのだ、彼女はそう思った。目の前の裏返された紙が、市丸そのものが彼女に
背を向けていることの表れであるようにさえ感じた。
『不安』の二文字が頭を過ぎる。自分は今不安なのだ、多分、生まれて初めて。
彼女は黙って市丸を見た。最初に出会ってからずいぶんと長い間、自分を『不安』や
『孤独』から守ってくれた人の顔。
すると市丸はそれに気がついたように、団扇でまたひとつ、優しい風を送って言った。
「まぁそうも言うてられへんよ、来るモン来たら僕らここにハリツケになってしまう」
(僕ら、)
吉良や他の者にはわかるはずのない、この響き。彼が密かにそこへ力を篭めた意味を
必死で推し量ろうとしたけれど、離れてからの年月と自分の抱える不安が邪魔をする。
「外にもそうそう出れるもんやなくなるで」
ニッと笑う市丸を見て、だからこそここに居たいのよ、と彼女は思った。けれど、
「行ってきいや、最後かも知れへん」
冗談に聞こえない冗談に結局は追い返される形となり、部屋を後にした。  


部屋を出てしばらくすると、吉良が後を追ってきた。
「松本さん!松本さん!」
「ほっといて! この借りはきっちり返すわ」
不安を怒りに変えて手のひらの書簡を握りつぶせば、いつもの啖呵がきれた。
追うのを諦めて立ち止まった吉良の声が、遠く離れた場所から背中に届くまでは――。

「花火があるって言ってました、見てくればいいって!」

「最後になるかも知れない、って!」
けれど、小走りにも似た足の運びを止めることができない。彼女は、吐き捨てるよう
に言った。
「知らないわ、そんなの」

けれど、幼い自分の彼の声の記憶が、それは嘘だと言った。
(向こうの世界でも、同じ風に見えるんやろうか)
まだ二人ともこの場所から足を踏み出したことのなかった時代。
自分たちの知る限りただ一人の花火師が打ち上げる花火を、手を繋いで見下ろした記憶。
(いつか連れてったるわな、)
珍しく茶化さずに言ったことを、言った当人が忘れてしまったとでもいうのだろうか。
それとも、縋る価値もない、小さな『約束』だと笑うんだろうか。
(何が『連れてく』よ――)

廊下の先を見やると、出掛ける支度を終えた日番谷が自分の帰りを待ってそこに立って
いた。










ドン、ドン、ドン――・・・

市丸の、多分わざと残したであろう忘れ物を回収し終えた頃、日番谷と彼女の足下で
突然大きな火の花が咲いた。
「シャクだけどあいつに感謝だな」
なかなかのモンじゃないか、というような顔で日番谷は花火に一瞥をくれる。
「まーゆっくり見てられないのもあいつのせいだけどな」
日番谷は、自分が市丸の動向に目を光らせていることについて、もう隠すことなくそれを
口にするようになっていた。
(本当に、)
彼女は閃く火の粉に思わず足を止めた。
これからどうなるのか、予測がつかない。
彼が何をしようとしているのか、彼自身、私自身、どうなってしまうのか。
そうしたら、私と彼の『約束』は――。
「どうした?」
「いえ、何も――」
自分には何もできない。何も起こらないことを、祈ること以外。
彼女は胸のうちを占拠しようとする不安を振り払おうとして前を見据えた。そこには、今、
自分がついていくべき後姿がある。

すると、前を行く日番谷が一瞬こちらを振り返って、言った。
「じゃあ何してる、行くぞ」
そしてすぐさま、その背中はひょいひょいと、けれど決してこちらが見失うことのない速さで
闇を越えていく。彼女は、それを気遣いとして成り立たせないうちに、黙って後を追い始めた。














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