時の半身




あら、と口に出して小さく呟くと、乱菊は棚を整理していた手を止めた。いらないものを捨ててしまおうと、そこにあるもの達を
見定めていた視界に、見慣れぬ・・・・けれど見覚えのあるものが映ったように思う。
覗き込むようにして奥を見ると、過ったものを確かめようと目を細める。そうして見えた小さな箱に、やっぱり、と小さな呟きが
再び唇から零れる。手前にあったものをがたがたと引っ張り出すと、やけに安っぽく見えるその小箱を手に取った。
上蓋には、棚に押し込まれていたにもかかわらず、うっすらと埃が積もっている。
ふっと息を吹きかけて白煙を上げた乱菊は、多少は綺麗になったように見えるそれをしげしげと眺めた。

(こんなところに・・・・)

仕舞ったのは確かに自分なはずなのに、もはや記憶は欠片も残らない。一体いつから、どれくらい、この箱はここに仕舞われて
いたのだろう。



棚の中でも尚、埃が積もるほどの間。
仕舞ったはずの自分が、その存在を忘れてしまうほどの長い間・・・・?



(・・・違うわ)
ゆる、と首を振った乱菊は、自分の考えを否定した。
忘れてしまったわけではない。
自分は、それを忘れようとしていたのだ。
自ら、すすんで。・・・・・意識しないままに。
そこに仕舞われていることではない、その箱の存在自体を、記憶の中から消し去ってしまいと望んでいたのだ。
捨てることなど到底できるはずもないそれを、せめて棚の奥へと押し込むことで、自分の中に生じる嫌な予感ごと閉じ込め、
忘れてしまいたかったのだ。
軽く振ると、中では微かにちりん、と音がする。
思わず綻んだ乱菊の口元に浮かぶ笑みは、どこか自嘲的な色を帯びていた。




*   *   *




それは、どれくらい前になるのだろう。始まりは、乱菊が市丸と共に住まいを流魂街から瀞霊廷に移した頃にまで遡る。



霊術院に入学して以降、二人が共に過ごす時間は驚くほど少なくなった。霊力の差でクラスが別になってしまったこと。
男女の別で寮が離れてしまったこと。様々なことが原因として積み重なり、結果、乱菊は市丸とろくに言葉を交わすことも
できなくなった。
それまで、殆どの時間を一緒にいたひとと離れなければならないことに、乱菊は当初、酷く混乱した。
死神になるためにここに来た。ならばそれは当然のことだと・・・・仕方のないことだと思うのに、意識は勝手に市丸の霊圧を
探す。共にいられなくなる、たったそれだけのことで自分と市丸の関係が失われてしまうわけはないと思いながらも、そのひとの
姿がそばに見えないことは心の均衡を容易く崩していった。

時折学校で見かける市丸は、同じクラスの者と笑って会話をしている。
そのことが、余計に乱菊の気分を重くした。
自分は未だに市丸の影に捉われているのに、向こうは疾うに自分のことなど忘れている。
そんなふうに見えた。
感傷にも思えるそんな考えを振り払い、自分は自分のためにここにいるのだとようやく思えるようになった頃、クラスの仲間から
夏祭りがあるのだと聞かされた。



たくさんの夜店が並び、佳境になれば花火が上がる。
流魂街にいたときには考えられなかったようなことが、ここでは行われている。・・・・そして今、自分はそれを体験できる場所に
立っている。



一緒に行こう、と誘ってくれた仲間の誘いを、乱菊は無意識のうちに断っていた。

市丸が来るから、と。

確信していたわけではない。それはもしかしたら、半分以上は乱菊自身の望みだったのかもしれない。
けれど、だとしたら尚のこと、きっと市丸は自分のところへやって来る。
そんな気がした。
過酷なときを共に過ごしたからこそ・・・・楽しいと思えるときに、一緒にいたい。
そう、思った。



乱菊の予感は的中し、なんの前触れもなくふらりと現れた市丸は、行こ、とだけ短く言った。
霊術院の生徒であるうちは、それほど自由があるわけではない。制服姿のままふらふらと夜店の間を歩きながら、少ない
金銭で買ったわたあめや焼きそばを半分ずつにして食べた。

水あめの中に杏が漬かっているものを、どうしたら半分にできるのかと首を捻っている市丸を見ながら、そういえばいつもそう
だった、と乱菊はふっと胸がつまるように感じた。





いつも、なんでも、半分ずつ。





それがどんなに小さなものでも、乱菊がいらないと断っても、市丸は必ず持っているものの半分を乱菊に寄越した。自分が
(恐らくは)苦労をして手に入れてきたのであろう食物を、なんの惜しげもなく、ただ待っていただけの乱菊に与える。

そのことを申し訳なく思い、乱菊が手を伸ばすのを躊躇うと、市丸は小さく笑って、いつも同じことを言った。



『乱菊がいるから、ボクはここに帰ってくるんや』



遠慮せんと食べ、と差し出されるものよりも、そう言ってもらえることが嬉しくて。
半分ずつの食物は、だから乱菊の宝物だった。





夜も更けるころ、いい加減歩きつかれて帰ってきた二人は、寮の前で足を止めた。
ここから先は、またいつもの生活が待っている。
隣にいることはできない。話しかけることも、ろくにできない。
(・・・・でも)
市丸とすべてを半分に分かち合えるのは自分だけだと、乱菊は思う。だから大丈夫。
おやすみ、と言って笑う乱菊に、おやすみ、と市丸も笑って答える。ひらりと手を振って身を翻すと、月明かりの下で銀糸の
髪がきらきらと光る。
ぼんやりとその残像を見つめていた乱菊を、市丸はすぐに、あ、となにかを思い出したように呟きながら振り返った。
「乱菊」
「・・・・なに」
「来年も、一緒に行こな」
言うだけ言って、返事は待たずにさっさ背を向ける市丸を、乱菊は息をとめて見送った。とくん、と打つ心拍に思わず深く息を
吸い、そして・・・・ふわり、と口元を緩める。

「約束よ!」

夜闇に小さく響く乱菊の声に、市丸は分かってる、というように後ろ手を振る。
遠のいていく背中に、乱菊の胸の中はあたたかくなる。
半分ずつが宝物なのは、自分だけではないのだと思った。









そうして毎年の夏祭りを過ごし、幾年かを経て霊術院を卒業する。各部隊に配属になり、正式な死神となって初めて迎えた
夏祭りの日も、乱菊は市丸と並んで歩いていた。
仕事の報酬として得た金銭もあるし、なにも半分ずつにする必要はもはや少しもなかったけれど、それでも乱菊達は買ったもの
をすべて半分に分けた。

それが、自分達にとっては当たり前のことだったから。

霊術院の制服ではない、おろしたての浴衣を着けて夜店の間を抜け、二人でヨーヨーを釣って、ついて遊ぶ。ひやかしのように
金魚の泳ぐ盥を覗き込みながら、それを掬おうと躍起になっている子供に声援を送る。
夜に似つかわしくないほど光に満ちた空間が、時間までをもきらきらと輝かせていた。





それを見つけたのは、ぽんぽんと手の中で弾むものに飽きてきた頃だったと思う。ちりん、という重り合う音に目を向ければ、そこ
にはあまり見たことのない夜店が出ていた。
簡易式の、おざなりに張ってある布の屋根から下がる、いくつもの風鈴。
耳に涼やかなその音は、夜風に乗って祭の賑わいに溶け込み、不思議な雰囲気を醸し出す。
陶器やガラスや青銅の、様々な種類の風鈴は、夜店のおかしいほど明るい光を浴びて鈍く光り、色のついた影を伸ばす。
色とりどりの音の波を感嘆しながら眺めていた乱菊は、綺麗、と独り言のように呟いた。



それは、目にも耳にも鮮やかなものだった。
人々の喧騒の中に於いても尚、色褪せない透明な輝きを放つ。
澄んだ音色は、どこか別の世界に紛れ込んでしまった様な錯覚すら生みそうだった。



惹かれるように見つめる乱菊の横顔を、市丸がじっと見つめる。その視線を並ぶ風鈴のほうへ動かすと、買おか?と当たり前の
ような口調で言った。
「え・・・いい。いらない。だって」
口ごもった乱菊に、市丸が怪訝そうな表情を浮かべる。
だって、と困惑したように繰り返した乱菊は、無理だもの、と口の中で呟いた。



陶器にしても、ガラスにしても、青銅にしても。
あれは、半分にできない。
とても綺麗だと思うけれど、半分にならないものは自分と市丸の間には必要ではないのだ。

だから

いらないわ、と繰り返し、欲しくはないということを強調するために振ろうとした乱菊の手を、ええからええから、と楽しそうに言いながら
市丸は掴んだ。
「欲しいんやろ?どれがええ?」
「ギン・・・!あたし、本当にいいから・・・!」
店番の人の視線が痛く、声を潜めるようにして言う乱菊に、市丸は不思議そうな顔を向ける。
「なんで?折角見つけたんやし、買うて帰ろ?」
「・・・・見つけたって、何をよ?」
「乱菊が欲しいモン。あんなはっきり物欲しそうな顔した乱菊、初めて見たし」
いつもは物欲薄いのになァ、と笑う市丸に、思わず頬が熱くなる。なによ、と言って顔を背けた瞬間、瞳に映った風鈴の雨に視線を
奪われた。その色とりどりの姿と幾重にも響く音色に、ふっと息がつまる。

(・・・・ああ)

やっぱり自分は、それが欲しいのかもしれない、と思う。



こうして惹かれて見てしまうくらいには。
ここから動けなくなってしまうくらいには。
何故かは判らないけれど、その音の渦に抗うことができなかった。



無言になった乱菊を見つめ、市丸は小さく笑いを零す。ひょい、と視線を動かして、おっちゃんそれ頂戴、と言いながら市丸が
指差したのは、薄水色の海と開く火の花が描かれた、ガラスの風鈴。

それは一際澄んだ高い音を奏で、乱菊の菫色の瞳を引き寄せる。

ほら、と安物の紙箱に入れられた風鈴を渡してくれる市丸に、ありがとう、と小さな声で呟くように言って、乱菊は頭を下げる。
そしてふと思いついて、ギン、と既に数歩先を歩きだしているひとを呼んだ。
「なんや?」
「これ、一緒に聴こうね」
軽く箱を振ると、ちりん、とくぐもった音が聞こえる。
怪訝そうな表情を浮かべて振り返り、先を促すように首を傾げる市丸に、乱菊はゆっくりと言葉を継ぐ。
「そうすれば・・・・半分ずつでしょう?」
夏の日に、どちらかの部屋で酒宴でも催して。
そのときにだけ、この風鈴を下げよう。
そうすれば、この音は市丸と自分のものになる。一つのものを、共に分け合うことができるはずだから。
乱菊の言葉に、市丸は一瞬瞠目する。そして微かな苦笑を浮かべると、そうやな、と呟くように返事をした。
「一緒に聴けば・・・・半分つやもんな」
「ね?そうしよう」
満足げに笑う乱菊に、市丸が苦笑を向け、頷く。







けれどその約束は、結局一度も果たされなかった。
それ以降、市丸は決して乱菊を訪れることをしなかったから。



そして、夏祭りも。
それが、二人で過ごした最後の夏祭りになったのだった。







*   *   *







それはたぶん、市丸にとっては最後の儀式のようなものだったのだと、今にして乱菊は思う。
『乱菊がいるから帰ってきて』手にしていたものを半分にしていた市丸は、もはや何物をも、乱菊と分け合うことを拒絶したのだ。
決して二つに分けることのできないものを、自分に与えることで。
そして、それを唯一二人のものにできる方法を、決して体験しないことで。
その理由がどこにあるのは、自分には分からない。それを知る術も、ない。
ただ分かるのは、拒絶されたのだという事実だけだ。






それに気づいたのは、何度目かで過ごす一人きりの夏祭りの日のことだった。
死神としての任務がある以上、どちらかがその時期に瀞霊廷を離れていることは当然ありうる話だ。
乱菊だとてここにいなかったことはある。
けれど市丸は、乱菊がいてもいなくても、毎年のように任務に出ていて留守だった。
連れ立って歩くひとがいないことを寂しいと思いながらも、けれど他者と歩くことには抵抗がある。結果、いつもその賑わいを
遠くから眺めているだけになってしまった乱菊は、年を経るごとに少しずつ募っていく違和感を、気のせいなのだと誤魔化そうと
していた。

けれどあれは、何年目のことだっただろうか。

その年の夏祭りの日、市丸は本来ならば瀞霊廷にいるはずだった。それなのに、突如欠員が出た任務に自ら志願して行って
しまったのだ。
今年は一緒に行けるだろうかと、淡い期待を抱く乱菊のことなど、まるで歯牙にもかけずに気にかけるふりすら、せずに。

・・・・ああそうか、と。

そのときに、乱菊の中にあった違和感はすうっと消えてなくなり、代わりの何か冷たいものが、すっきりとそこに収まったような気が
した。
市丸は自分を避けている。
だから、あれ以来共に夏祭りに行かないのだ。
だから、自分のところへ立ち寄ることもないのだ。
そのために・・・・あの、風鈴を。





・・・・・・あのひとは、自分を切り捨ててしまった。
自分が何よりも慈しんでいた、あのひとが分け与えてくれる、あのひと自身の時間の半分は、恐らくもう二度と、自分に与えられる
ことはないのだろう。

そして自分の時間の半分を、あのひとに与えることもないのだろう。





道ですれ違えば、笑う。話す。
けれど、自分達の間に残ったのはそれだけの関係だった。
すべてを半分に分け合っていたときは、夢のように淡く消え果てしまった。
まるで、それが本当の夢であったかのように。

儚く。
溶けるように。

・・・・そうして、一度も並んで聴くことができなかった風鈴は、吊るされることすらないまま、乱菊の手によって棚の奥深くへ
仕舞われた。鈍い痛みを伴う、記憶と共に。
それを捨てることも壊すこともできない自分に、裡にくすぶる未練を感じて自らを嘲笑するしかなかった。







あのとき自分は泣いただろうか、と風鈴を手にしたまま乱菊はぼんやりと思いを巡らす。
けれどそれももう、遥か記憶の彼方だ。
あれからいくつもの季節を越え、数多の夏を通り越した。それを思い出して感傷に浸るには、たくさんの時間を過ごしすぎて
しまった。
軽く箱を振ると、昔と変わらぬ、ちりんと鈍い音がする。箱から出してやって、風の吹きぬける窓辺にかけてやれば、どれほどの
涼やかな音色を奏でるだろうかと思う。

ふっと瞼を落とした乱菊は、静かに深い呼吸をした。



『一緒に聴けば・・・・半分つやもんな』
耳の奥に残るその声は、ひどく自嘲気味な色を帯びている。
そのとき、乱菊はそれを気のせいだとしか思わなかった。けれどそれは、もしかしたら気のせいなどではなかったのかもしれない。
市丸もまた、そこになにかの未練を感じていたのかもしれない。
だとしたら、それは一体なんだったのだろう・・・?



一瞬思考の淵に落ち込みそうになった乱菊は、ふと我に返って、知らず、肩に入っていた力を抜いた。ゆっくりと首を振ると、きつく
口元を引き締める。
(今更・・・・・)
そんなことを考えても仕方がない。
市丸は自分を必要のないものだと断じた。
すべてはそれだけで、そしてそれだけがあれば十分だった。
そう思うのに、心の中でなにかが、違う、と叫び続けているような気がして、ひどく落ち着かない。
けれどいくら考えても、それがなんなのかは分からなくて、結局深いため息と共に乱菊は静かに目を開けた。









かつて一度も、風に揺れることのなかった風鈴。
それを、今年の夏は窓辺に飾ってみようか、と思いながら。








コメント:
最後の最後で縋れないのが、乱菊さんが乱菊さんたる所以です。
きあぬさん、素敵な機会と場を設けてくださって有難うございます。
ハズしていたらスミマセン。





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