守護の絆




書類の最後に、所属の隊を入れる。その下に、役職と自分の名前。更にその横に、
みとめとなる印を押す。
ふ、と軽く息を吹きかけて、滲む朱色を乾かす仕草をした乱菊は、その紙を処理
済の山へと移した。
朝から休む間もなく片付けていた書類の山の、それが最後の一枚だった。
おしまい、と解放されたような口調で呟くと、やれやれといった態で伸びをする。
思い切り天井に向けて伸ばした手を、ふっと勢いよく脱力して落とすと、向こうで
まだ机と向き合っている日番谷に目を向けた。
眉間に寄せられる皺が、いつもより深く刻まれているような気がする。
自分と同じように、朝からずっと書類整理をしているのだ。嫌でもそんな顔になる
だろうと、乱菊は少しばかり同情気味に考えた。
なにしろ、護廷十三隊の隊長達の中には、まともに書類の処理をするひとが少ない。
それは実際問題できないというのではなく(そういう人もいるだろうとは思うけれ
ども)、ただ面倒だからとか性に合わないからだとか、そんな逃げ口上にも聞こえる
理由で避けているのに違いないと乱菊は思う。
そのツケがこうして自分達や(恐らくは)五番隊に回っているのだと思うと、その
理不尽さに些か腹も立つ。
日番谷の眉間の皺をじっと観察していた乱菊は、やがて自隊長が面倒くさそうに首を
回すのを見て、ふとあることを思いついた。
かたんと椅子を引いて立ち上がると、座りっぱなしでいた体がぎしぎしと軋む。その
強張りに僅かに眉をしかめ、軽く腰をひねって硬さを解してから、すたすたと日番谷
に近づいていった。
「隊長」
「・・・・終わったのか」
「ええ、あたしの分は。・・・ねえ、隊長」
「なんだ」
「肩、揉んであげましょうか?」
唐突な申し出に、脇に立った乱菊を胡乱げに見上げた日番谷は、しばらくの間をおいて
から、いらん、と言葉少なにそれを拒絶した。
「なんでですか?あたし上手いですよ?」
「肩など、こってない」
「嘘ばっかり。今、首回してたじゃないですか」
気づいてなくてもこってるんですよ、と断じる乱菊に、日番谷はますます胡散臭げな
表情を浮かべる。
それを気にする様子もなく日番谷の背後に回った乱菊は、ほら、と言いながら両手を
目の下にある肩に乗せた。
「ちょっと休憩しましょう。ね?」
「・・・・・上手くなかったら、お前これ、残り全部やれ」
宥めるように言う乱菊に、これ、といいながら日番谷が指差すのは、あと少し残って
いる書類の小山だ。
その仕草に一瞬動きを止めた乱菊は、すぐににっと口の端を上げた。
「下手だったらね。喜んで、やらせてもらいます」
言うと同時に指先に力を込めると、ふっと日番谷の体が弛緩した。
親指で、肩の線をなぞるように押していく。肩甲骨に沿った上下の位置も、丁寧に
柔らかな手つきで撫でていく。
指先に感じる硬さに眉をひそめ、首筋に指を這わせようとした乱菊は、そこに見えた
薄い線に、ふっとその手を止めた。
(・・・傷痕?)
跳ね上がっている後ろ髪で、隠れるか隠れないかくらいの位置にある薄い線は、明らか
に昔の傷痕だと思う。それは、日番谷の背後に立つことが多い乱菊でさえ、今まで
気づくことがなかったほどに薄れている。
薄れてはいるけれども、決して消えることがないだろうと思うのは、それが刃物の傷
ではなくて、なにか不揃いな・・・例えば割れたガラスとか、ささくれた木の枝とか、
そんなものでついた傷のように見えるからだ。
何の気なしにその痕に触れた乱菊は、これ、と小さく呟いた。
「なんですか隊長、この痕」
少なくとも、自分が副官になってからついた傷ではない。その前に何か、これほどの
傷を負う任務に出たことがあるのだろうかと、それは本当に純粋な興味から出た質問
だった。
え、と怪訝そうに背後を見返った日番谷は、乱菊が触れているところに自分の手を伸
ばし、そこにあるものを指先の感触で確かめてから、ああ、と眉をしかめて頷いた。

「たいしたことじゃない。昔の傷だ」
「昔って・・・だって、あたし知りませんよ?それにこんな傷、虚相手につきます?」
「だから、昔だと言っている。・・・・流魂街にいたときの話だ」
その言葉に、乱菊は一瞬動きを止める。それなら納得がいかないこともない、と思い
ながら、そうですか、と言ってするりとその傷を撫でた。
「よく・・・助かりましたね」
あと少しずれていれば、確実に脈が裂けていただろう。
それだけ急所に近い位置にこれほどの傷を負って、よくも命があったものだと思う。
日番谷がいた地区がどれだけの治安を保っていたかは知らないけれど、少なくとも
瀞霊廷の中にいるのと同じ程度の治療が受けられたとは考えられない。
感心したように呟く乱菊に、日番谷はちらりと視線を投げる。そして、雛森が泣く
からだ、と不機嫌そうに呟いた。
「・・・・嵐だった。凄い風雨で、そんな中一人の子供が歩いてた。這っていた、と
いうほうが近いかもしれない。その子供を助けに行こうとする雛森を、俺は止めたんだ」
「・・・・・何故ですか」
「危険だったからに決まってる。風に煽られたいろいろなものが、外で思う様舞い上がって
いるんだぞ?屋根やら、割れた窓やら。そんな中出ていくなんて、絶対にダメだと言った」
けれどあいつは頑固だから、と日番谷は苦笑する。
「放ってなんておかれない、と言い張って。だから仕方なく俺も一緒について行った。
そしてその子供を抱えて、家の中に戻ろうとしたとき、大きな木片が飛んできたんだ。
・・・たぶん、どこかの家の扉が、壊れたものか何かだったんだろう」
「・・・それで?」
「雛森は、腕の中の子供を庇った。俺は、雛森を庇った。それだけだ」
「それじゃ、隊長が助かった理由になりませんよ」
「あいつに枕元で泣かれてみろ。死にたくても死ねやしねぇよ」
わーわー煩くて、と眉をしかめる日番谷の声には、けれど表情に反して抑えきれない
情がこもる。そこに含まれるものに、乱菊はふっと息をつめた。

日番谷は、きっと本当に助かりたかったのだろうと思う。
雛森のために。
雛森のそれから先の生を見守るために・・・そして、雛森が自らの死に責任を感じない
ために。
良くも悪くも真っ正直な彼女のことだ。もしそのときに日番谷が命を落としていたら、
一生、それを贖罪として抱えて生きたことだろう。泣きながら、苦しみながら、自分を
責め続けたことだろう。
それを日番谷は、なんとしても阻止したかったのだ。
そう考えると、乱菊の胸に鈍い痛みがはしる。

・・・・そこに込み上げてくるのはなんだろう。
日番谷と過去を共有する相手への羨望か。
日番谷にそこまで想われる相手への悋気か。

けれどじっと考えてみても、そのどちらもが違うように感じる。
そして、その言い難い感情に言葉をつけるのだとしたら、違和感、というのが一番近い
のかもしれないということに、不意に乱菊は思い至る。
庇われて、泣いて、想われる。
一見幸福に見えるそれは、結局、雛森が日番谷の庇護下にいるということに他ならない。
所詮は、護られる対象でしかないのだと。
けれど自分が欲しいのは、そんなものではないのだ。


庇護される立場が欲しいのではない。
一方的に護られたいのではない。
自分は、そのひとと対等に並び立てるだけの絆が・・・信頼が、欲しいのだと思う。

そして何より、自分が、そのひとを護りたい。



松本、という呼び声に、乱菊ははっと我に返った。慌てて日番谷のほうへ意識を戻すと、
肩に乗せていた手をぽん、と叩かれる。
「止まっている」
「あ・・・ごめんなさい」
「いや、もういい。・・・有難う」
するりと滑るように乱菊の手を外した日番谷は、数回首を回すと、うん、と頷いた。


「だいぶ、楽になった」
「それなら良かったです」
にっと笑った乱菊は、自席に戻ろうと踵を返す。松本、という再びの呼び声に振り返ると、
日番谷が当然のような顔をして、残っていた書類の半分を差し出していた。
「お前の分だ」
「・・・・上手かったらやらなくていいんじゃなかったでしたっけ?」
「なにを言っている。下手だったら全部、と言っただけだ」
にやりと哂う日番谷に、乱菊は盛大に眉をしかめてみせる。なんだか騙された気分なん
ですけど、と唇を尖らせると、仕方なさそうに差し出されたものを受け取る。
今度こそ自席に向かって歩き出しながら、背中に可笑しそうな日番谷の笑い声を受けて
いた乱菊は、ふと思いついてもう一度日番谷を振り返った。
「・・・隊長」
「なんだ」
「あたしのことは、庇ってくれなくていいですからね」
「・・・なんだ、藪から棒に」
「その代わり、あたしが隊長を護りますから」
乱菊の言葉に、日番谷がふっと目を細める。
その表情を見つめながらにっこりと笑うと、乱菊は自分の首筋を指差した。
「・・・ここに。名誉の負傷を負っても、必ず」


僭越なことだとは分かっている。
自分よりもはるかに強大な力を持つ相手に、不遜な物言いであることも。
けれど、自分にはそれだけの覚悟があるのだと・・・・そしてその覚悟は本物なのだと、
知っていて欲しいと思う。
護られるだけではない。
命を賭してさえ、貴方を護る覚悟があるのだ、と。



じっと乱菊を見つめていた日番谷は、やがて、そうか、と短く言って頷く。微かに眉
をしかめて考え込むと、言葉を探すように視線を彷徨わせる。
乱菊は、じっと黙って声を待つ。
有難い話だが、とゆっくりと呟いた日番谷は、自分に向かう菫色の瞳をまっすぐに
見つめ返し、静かに言葉を繋げた。
「首筋に傷なんか負うな。・・・万が一にも、お前に死なれたら、困る」



・・・なによりも自分が欲しかったものは、既にこの手の中にあるのだ、と。
そう悟った乱菊は、一際綺麗な笑みを浮かべ、はい、と強く頷いた。















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