うなじ




「まだ終わらないのか?」
 常よりも少しだけトーンの低い声が聴こえて、松本は姿見で浴衣の崩れがないかどうかを確認してから、
振り向いた。
「着付けはあらかた。あとは髪の毛です」
 常通りのんびりと応える己が声に、日番谷が更にぴりぴりとしたのが分かる。
 怒っているわね、これは。
 出店がでるから出掛けようと、誘ってくれたのは何と日番谷の方で。
 せっかくだから浴衣でも着ましょうよ、と言ったのは、自分の方だった。
 こういう時、女の支度は手間取って嫌だわ、と思うのだけれど、いつもと違う彼が見たかったから。
「早くしろ」
 ウンザリしたような響きがありありと発せられる。これは意図的なものだ。
 そんな日番谷に、松本は笑って言った。
「じゃあ、隊長結って下さいよ」
「はあ!?」
 珍しく素っ頓狂な声を出す上司に、髪の毛を示して見せる。
 しかし日番谷の返事は「否」だった。
「だって、雛森の髪は出来たじゃないですか」
 以前遊びに来た雛森の髪の毛がほつれた時、松本が直そうとしたところ、日番谷がそれを直したことが
あった。
 嫉妬がないかと言えば嘘になる。
 女性の髪に触れるか触れないかは重要な問題だ。
 実際、日番谷が松本の髪に触れたことは一度もない。
 松本の言葉に日番谷は溜息を吐いた。
「……何張り合ってんだおまえは……。あんなんは布ん中に髪つっこみゃ良いだけだろ。浴衣の結い髪じゃ
全然勝手が違うじゃねぇか」
 せっかく綺麗に……贔屓目に見ずとも美しく装った女の髪を結うなど、冗談ではない。
 失敗したらまた時間もかかる。
 しかし。
「下手でも良いんです、隊長がやって下さるなら」
 松本のこの言葉に、日番谷は観念した。
 ここまで言われて断ったら、この後が気まずいではないか。
 何だか罠にはまったような気がして悔しく思いながら、日番谷は松本の背後に立ち、栗色の髪をそっと
まとめて持ち上げた。
 既に良く櫛は通っていて、引っかかる様子もない。
 このまま一つにまとめて、適当な飾りをつけたり、簪でもつければ充分綺麗になるだろう。
 もともと髪の色が華やかゆえに、そこまで自分が気を張って整えようとしなくても大丈夫だろうと安堵する。
 ほっと小さく息を吐き、持ち上げた髪を上に上げようとして、日番谷の手がぴたりと止まった。
 今、気付いたのだが……。
 平常下ろしている髪を上げてしまうと、手からこぼれる後れ毛も相まって、見えるうなじが異様に危うい
感じがしてしまう。
 こんな姿の松本を連れて歩けば、周囲がどのような反応をするか容易に想像できた。
 それは何だか、面白くない。
 せっかくいつも露にしている胸の輪郭を浴衣の下に隠しているのに、それではあまり意味がない。
 日番谷は予定を変更して、そのまま彼女の髪をまとめて編み、下ろしたままにして控えめな花を飾ることに
した。
 別に結い上げろとは一言も言われていないし。
 これでも随分首筋は見えるが、結い上げるのとでは全く趣きが違う。
「……できたぞ」
 鏡台の前に座る松本に声をかけると、彼女は自分の姿をまじまじと色々な角度から眺めたのち、微笑んだ。
「有難うございました、隊長」
 どうやらおめがねに適ったようである。
 一段落とばかりに日番谷は大きく息を吐く。
「これで良いなら、好い加減行くぞ」
 その声で松本は立ち上がった。
 ようやくくるりと体ごとこちらへ向く。
「どうですか?」
 上機嫌の問い。
「……良いんじゃねぇの?」
 不機嫌そうな返し。
 けれど、不機嫌を装った彼の返答に、松本は機嫌を損ねるどころか嬉しそうな顔をした。
 特に意味もなく「ふふふっ」と笑い、心底幸せそうな微笑みで、日番谷の手を取る。
 そうして止める間もなく、するりと指を絡ませた。
 日番谷も一瞬瞠目し松本を見つめたものの、すぐに顔を背けはしたが、特に嫌がる様子はない。
 二人はそれぞれ満足のいく想いを抱き、長い夜へ一歩踏み出した。













コメント:
浴衣のお題なのかうなじのお題なのか小一時間問い詰めたい(おまえのことだろう)。
女性の髪に対して結構器用な隊長が書きたかったのですが。






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